OB会について

OB会設立の経緯と初代監督 山下 章 先生 

(2007年)平成19年5月18日

初代監督の山下章先生が永眠される。

(2007年)平成19年7月1日

故山下章先生の「お別れの会」が、記念館ホールで約600名もの参列者を迎え、しめやかに執り行われた。
開式の辞に引き続き、参列者全員で黙祷が捧げられ、校歌が斉唱された。お別れの言葉を、故人と生前ご縁の深かった元県高校野球連盟会長・吉澤肇氏、八千代松陰高校同窓会会長・坂戸正幸氏、八千代松陰高校初代野球部主将・中村賀一氏を含む6氏からいただいた。その後、「ありし日の山下章先生」を偲び、映画部が制作したビデオが流された。最後に高校野球選手権大会歌『栄冠は君に輝く』のオルゴールメロディーが流れる中,先生の遺影に参列者全員から献花が行われ、「お別れの会」は無事終了した。
 なお、会場の関係で硬式野球部を中心とする卒業生の多くには、記念館1階ギャラリーや3階自習室に特設されたモニターでの参加となったが、いずれも山下先生の教え子であったことに誇りと感謝の気持から整然とご協力いただけた。
「お別れの会」終了後、生前山下監督が「そろそろ野球部のOB会を作ってはどうだ」と仰っていた経緯をふまえ、出席者約150名の野球部OBの総意により、直ちに野球部OB会が設立され第1回総会として開催、会長に中村賀一(1期生)と事務局に大橋宜弘(4期生・松陰高校事務室勤務)が選出され、総会の一任を受け、OB会の組織編成を行なうこととなった。

山下章先生 略歴

 昭和10年(1935)神奈川県に生まれる。進学校県立翠嵐高等学校から上智大学文学部に進む。昭和36年、茅ヶ崎市立松浪中学校に英語教諭として奉職。
 在職の10年間に野球部監督として7年連続県大会に出場、2度の優勝の偉業を成し遂げる。当時、東海大学第一高等学校の野球部監督を探していた山口久太先生に、東海大学相模高等学校野球部監督・原貢氏から推薦があり、昭和46年、同校に野球部監督として赴任。昭和51年春・夏と2季連続甲子園大会に出場。さらに東海大学相模高校野球部部長として52年夏に出場。
 昭和53年、山口先生が理想の教育を求めて八千代松陰高等学校を創立するにあたり、乞われて教頭・野球部監督として赴任。昭和55年、創立2年目の春に選抜甲子園大会に出場。「山口、山下あるところに甲子園あり」の伝説を生む。
 学園のリーダーとして闘病中の山口先生の教育方針を引き継ぎ、副校長、さらに平成元年から中学・高等学校の校長・副理事長に就任。文武両道、国際交流に大きな成果をあげるばかりでなく、県内有数の進学校に育て上げた。平成16年より副理事長・専務理事として学園運営にあたる。
 その間、千葉県私学教育界、アマチュアスポーツ界のリーダーの一人として、県私立学校審議会委員、全国私立学校審議会連合会運営理事、県高校体育連盟副会長、県高校野球連盟副会長の要職を歴任。
平成17年 瑞宝小綬章受章
平成18年 育成功労賞受賞
平成19年5月18日 逝去(享年73歳)